迫り来る夜勤Daysに備えて、徹夜をしてみた。実際は仕事をしなければならないのでいろいろ状況は変わってくるけれども、なんとか5時を迎えた。シフトが終わるまであと4時間ほどである。
いきなり8時間ほど自由時間が増えたので何をしようと考えたが結局DVDを見て、部屋を少し片付けて、脚のストレッチをして、4時半あたりで小腹が空いたので、時間をかけて消化のよいあたたかい食べものでも作ってみようと思い、とりかかったのが白かゆ。
と言っても、スプーン3杯の米を軽く研いで、こんぶと適当な量の水を入れてIHの上に40分ほど放っておくだけである。このシンプルな朝ごはんが、なんかすごくおいしくてビックリしてしまった。
まず、親戚の家の新米の、(まだ新米と言えるのかしら?)米そのものの味。立ち上るこんぶだしの香り。梅干しの酸味、そして真っ白なお米とそれをこんもりとくるむ半透明のあれ。これは…毎日でもいいかもしれないとさえ思ってしまった。
最近は本当に人様に打ち明けることができないような食生活で・・・基本に戻った感じがする。うん。
5時21分。
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2011年2月27日日曜日
2011年2月15日火曜日
Nora Ephron "I Feel Bad About My Neck"
2010年12月11日土曜日
町田康 『おっさんは世界の奴隷か―テースト・オブ・苦虫6』
2010年11月15日月曜日
宇野千代 『私は夢を見るのが上手』
「ただ、自分の気持ちに忠実に、自然に生きていくためには、女も、いつでも自分で現金を稼げるやうな状態にしておくことが必要だと思ひます。貯金とか株券を持つていて利子が入るといふのではなくて、生身の体で働いてお金を稼げるやうになってゐれば、好きな男が現はれたときに、お金と関係なしに、自然な気持で「好きつ」と駆け出していけるのですから
ついでに言ひ添えますと、駆け出していつても、相手の前で黙つてゐてはだめです。好きだといふ気持ちをはつきりと伝へなければなりません。表現の方法も考へるのです。」
最後の方の、寂聴さんとの対談で、オス・メスの話をしているところから
寂聴「・・・プラトニックラブはお認めにならないですか」
千代「いや、それは認めますけどもね、それはオス・メスの感情から入っていって、それが昇華したというようなことのほうが理想的だなと思いますね」
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さて、駆け出しませうかね、年末にでも。
で、来年あたりからオス・メスの関係で大盛り上がりになりたいところでございます。正直。(lol)
2010年11月3日水曜日
町田康 『テースト・オブ・苦虫7:自分を憐れむ歌』
2010年11月1日月曜日
パトリス・ジュリアン 『生活はアート』
2010年10月29日金曜日
町田康 『テースト・オブ・苦虫8:あなたにあえてよかった』
2010年10月25日月曜日
群ようこ 『三味線ざんまい』
町田康 『テースト・オブ・苦虫5:おそれずにたちむかえ』
ついつい手にとってしまうマチダさん。電車の中、カフェにて、笑いをこらえきれず、周りの人から怪しまれてしまった。くすっと笑うならいいけれど、ところどころまぢ笑いなものだから。
だから、ひたすら、家にこもって読むべきなのかも。
以下、印象的だった一部分。
『・・・そんな若い人の小説を読んだり、話を聞いたりして気になることがひとつあるのは、小説を自己表現であると信じて疑わないという点で、なぜなら私は、小説は他人を表現する場所であると思うからである。
他人を表現することで、これまでの自分の考えや行いをとらえ直し、ある意味において自己否定、自己破壊をして新しい自己にいたるのが小説であると思う。』
このあと、ちょっと皮肉な感じでエッセーが続くのだけれど、おっしゃっていること、とてもよく分かると思いつつ、本を閉じて、さてDVD見るか。
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2010年10月12日火曜日
三浦綾子 『遺された言葉』
三浦綾子をはじめて読んだのは、高校生のころ。国語の臨時教員が、『道ありき 青春編』の一部を朗読してくれたことがあったのがきっかけである。たしか前川正がなくなって、髪の毛を切る場面だったと思うのだが、青春時代をベッドの上で過ごしたという境遇だけでもどんな過酷なものだったろうと、すぐに文庫を買って、読破した。
恥ずかしいことに、三浦綾子を読んだのはそれきりで、『氷点』も『塩狩峠』も、いつかは、と思いながらも未読。今は、いつか、ではなく、「近々」読まなければと思っている。(たいして変わらないって?)
彼女が経験したことって、ひとつひとつがすごく濃くて、考えさせられることが多くて、さぞかし感動しただろうなぁと思うようなものもあって、でも多分私にもそういう経験はあるのだろうし、この先もたくさんあるはずだ、とそういう出来事を見逃さない目を常に持っていたいと思う。
小説について。
”現実の面白さや変化は、作家の想像力を超える。景色の四季の移り変わりにしても、たとえば、見本林のカラスのおびただしい死などは、想像からは生まれにくい。それで、わたしは、ストーリーは作っても、舞台は現実にある場所を求めるのである”
だから、舞台の徹底した研究は、すごいそうだ。登場人物を住まわせる家なども、納得行くまでさがして、間取りをスケッチに取った上で、描く。
なるほど、やっぱりビジュアルって大事なのだ。
しかし彼女のパートナーの三浦光世氏との絆がすごい。それから、キリスト教の信仰。二人だけの結婚じゃなくて、世の中に役立つ家庭にしたいという思いで結婚した、とかその辺りも、見習うべき点かも。
でも一方で、私は、どっちかっつうともっと気の抜けた、落語の噺に出てくるような、夫婦漫才のような、そんなのがいいなぁとか思ったりして。
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2010年10月10日日曜日
町田康 『つるつるの壺』
2010年10月9日土曜日
町田康 『爆発道祖神』

図書館や本屋でぶらぶらする時間は大好きなのだが、結構時間をつぶしちゃったな、と反省することも多いので、最近はこの人と決めて5~6冊、がばっと本棚から借りてくるのが定番。
ということで、今回はマチダが3冊続く。今日一気に残りを読んで返しに行こうと思ったのに、生憎様雨が降ってきてしまったので、ゆっくりと読む。
町田康のエッセイは、エッセイなんだか短編小説なのか、わからないところが面白い。動物とか、像とか、いろんなところから想像して、話を組み立てていて、そうしてみると日常は本当におもしろいことがいっぱいなんだなぁと思う。
特に電車の中での人間観察とか、先の本でも幾度か出てくるけど、電車に乗るんが楽しみになるもの。
さて今日は雨なので、家でまったりとまた本でも読んで過ごそうかしらん。
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2010年10月8日金曜日
町田康 『東京飄然』

町田康を読み出したのは、雑誌の書評にあって「3ページに一度は爆笑できる」と推されていた『告白』を読んだのが最初。以来大ファンになってしまって。いろいろ読んで、でも『告白』がやっぱり一番好きで、常にちょっとずつ読み返している。
町田康の小説に出てくる主人公って、一日中仕事しないで飲んだくれている、という人が一般に多い気がするので、本人もそんなダメダメ男なのかと思えば決してそうではなくて、早起きして仕事場に向かい締め切りにきっちり間に合うように仕事をこなして、社会的なとこをものっそ大切にしている人なんだと、こういうエッセイを読んでいると感じられる。
「飄然」とは、世事を気にせずのんきな様(goo辞書)。漫然と(ぼんやりと、とりとめもなく)出かけるのではなく、あくまでも飄然と。これは結構難しいことである。漫然と歩く、と言うとなんとなくただの時間の無駄というか、そして本人もそれに気がついていて、家に帰ったあと何してたんだろ、と反省すると言うよく分からない時間の過ごし方。漫然と歩いているときは、何か目的を探しながら、なんかおもしろいことないかなぁ、つまらんなぁと考えていることが多いと思う。なんとなれば、私のような貧乏性の人間は、何かその時間に意義あることをしていないと、気が急いてしまうから、はっきりとした目的がないと、焦る、これはいかんやんと思ってしまうものだから。
一方飄然は、飄然とすること自体が目的と言うか、風雅で禅な感じがする。考えてみれば上のような私の思考は、人生から少しでも多くの楽しみを手に入れたい、みたいな欲の塊であって、そういう何かを外に期待して出歩き、その上また、つまらんかった、とか思うのは何か、卑しい気がする。
本来人間は何も目的がなくても、何もしなくてただただ歩いているだけでも、意味あるときをすごしているし、義務をこなして、約束を守って、締め切りに間に合って、気を遣って、という日がある(というかそういう日がほとんど)のであれば、飄然と足の向くままに、思索をしながらそこいらを歩き回る休日があってもいいではないの。
ということで、今日は休日にあたるため、飄然と、出かけようかな。天気もいいし。
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