2010年10月12日火曜日

三浦綾子 『遺された言葉』

三浦綾子をはじめて読んだのは、高校生のころ。国語の臨時教員が、『道ありき 青春編』の一部を朗読してくれたことがあったのがきっかけである。

たしか前川正がなくなって、髪の毛を切る場面だったと思うのだが、青春時代をベッドの上で過ごしたという境遇だけでもどんな過酷なものだったろうと、すぐに文庫を買って、読破した。

恥ずかしいことに、三浦綾子を読んだのはそれきりで、『氷点』も『塩狩峠』も、いつかは、と思いながらも未読。今は、いつか、ではなく、「近々」読まなければと思っている。(たいして変わらないって?)

彼女が経験したことって、ひとつひとつがすごく濃くて、考えさせられることが多くて、さぞかし感動しただろうなぁと思うようなものもあって、でも多分私にもそういう経験はあるのだろうし、この先もたくさんあるはずだ、とそういう出来事を見逃さない目を常に持っていたいと思う。

小説について。

”現実の面白さや変化は、作家の想像力を超える。景色の四季の移り変わりにしても、たとえば、見本林のカラスのおびただしい死などは、想像からは生まれにくい。それで、わたしは、ストーリーは作っても、舞台は現実にある場所を求めるのである”

だから、舞台の徹底した研究は、すごいそうだ。登場人物を住まわせる家なども、納得行くまでさがして、間取りをスケッチに取った上で、描く。

なるほど、やっぱりビジュアルって大事なのだ。

しかし彼女のパートナーの三浦光世氏との絆がすごい。それから、キリスト教の信仰。二人だけの結婚じゃなくて、世の中に役立つ家庭にしたいという思いで結婚した、とかその辺りも、見習うべき点かも。

でも一方で、私は、どっちかっつうともっと気の抜けた、落語の噺に出てくるような、夫婦漫才のような、そんなのがいいなぁとか思ったりして。


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