2010年10月8日金曜日

町田康 『東京飄然』




町田康を読み出したのは、雑誌の書評にあって「3ページに一度は爆笑できる」と推されていた『告白』を読んだのが最初。以来大ファンになってしまって。いろいろ読んで、でも『告白』がやっぱり一番好きで、常にちょっとずつ読み返している。

町田康の小説に出てくる主人公って、一日中仕事しないで飲んだくれている、という人が一般に多い気がするので、本人もそんなダメダメ男なのかと思えば決してそうではなくて、早起きして仕事場に向かい締め切りにきっちり間に合うように仕事をこなして、社会的なとこをものっそ大切にしている人なんだと、こういうエッセイを読んでいると感じられる。

「飄然」とは、世事を気にせずのんきな様(goo辞書)。漫然と(ぼんやりと、とりとめもなく)出かけるのではなく、あくまでも飄然と。これは結構難しいことである。漫然と歩く、と言うとなんとなくただの時間の無駄というか、そして本人もそれに気がついていて、家に帰ったあと何してたんだろ、と反省すると言うよく分からない時間の過ごし方。漫然と歩いているときは、何か目的を探しながら、なんかおもしろいことないかなぁ、つまらんなぁと考えていることが多いと思う。なんとなれば、私のような貧乏性の人間は、何かその時間に意義あることをしていないと、気が急いてしまうから、はっきりとした目的がないと、焦る、これはいかんやんと思ってしまうものだから。

一方飄然は、飄然とすること自体が目的と言うか、風雅で禅な感じがする。考えてみれば上のような私の思考は、人生から少しでも多くの楽しみを手に入れたい、みたいな欲の塊であって、そういう何かを外に期待して出歩き、その上また、つまらんかった、とか思うのは何か、卑しい気がする。

本来人間は何も目的がなくても、何もしなくてただただ歩いているだけでも、意味あるときをすごしているし、義務をこなして、約束を守って、締め切りに間に合って、気を遣って、という日がある(というかそういう日がほとんど)のであれば、飄然と足の向くままに、思索をしながらそこいらを歩き回る休日があってもいいではないの。

ということで、今日は休日にあたるため、飄然と、出かけようかな。天気もいいし。

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