2010年10月31日日曜日

関沢英彦 『偶然ベタの若者たち』

私が大学を卒業するときに、ゼミの謝恩会で恩師が卒業する私たちにひとこと

『みなさん、勇気を持って、頑張ってください』

そんなのを思い出した。仕事の面接、辞めるとき、誰かを好きになったとき、新しい場所へ赴くときに、この言葉に幾度励まされたことか。未知の世界に一歩踏み出すときの勇気があれば、その先の最高な偶然に出会う可能性が広がる。

もちろん、最悪の偶然に見舞われることもあるし、何にもなくてがっくりくることもある。

でも、注意をして見ていれば、小さな偶然や気づきはいっぱい転がっているもの。それから万が一最悪の偶然にめぐり合っても、私は「まあ、零合星人だから、仕方ないよね」と片付けられる。最近は仕事の不運も、そうやって片付ける。しゃーないしゃーない、と。

で、こうして自分を騙し騙し過ごしながら、私が待つのは、この本にも書かれているPlanned Happenstance「計画された偶然」である。これはどこかで以前にも読んだことがある、ジョン・クランボルツという人の言うことで

『慎重に立てた計画よりも、想定外の出来事や偶然の出来事が、あなたの人生やキャリアに影響を与えていると感じたことはありませんか?・・・キャリアはどうでしょう?大学での専攻分野や、職業、会社、同僚、上司にも想定外の出来事が影響を与えています』

ということ。確かに思ったとおりに行かなくてよかった、ということは山とある。例えば、新卒でもっといい会社に入社していたら、今の私の人間関係で大切な位置を占めている元同僚や、大切なお客様には出会えなかったし、彼らナシの人生なんて正直考えられない。

この先もそういう偶然に恵まれた人生を歩みたかったら、やっぱり勇気は必要不可欠である。だって、最近の世の中って、何か物騒で、怖いもの。普通のマインドじゃ、正直やっていけないし、雰囲気で負かされちゃうってことも大いにある。

だから勇気とセットで持ち歩きたいのはやはり、鈍感さだろう。

敏感に感知しすぎてもいけない。人生に必要なのは運・鈍・根。おそれずに立ち向かい、モンスターが出てきても、キャーと驚かずに鈍に構えて「変な顔しとるなぁ」とか言うくらいにしとく。そういう感じ。

そういう感じで、行こうと気持ちを新たにしました。

ちなみに、最近あった最悪の偶然は…と考えていて、まったく思い浮かばなかったので、そもそも、統計的に、そんなにびくびくしてすごさなくてもイイジャンと、思った。



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2010年10月29日金曜日

井形慶子 『仕事も暮らしも3で割るイギリスの習慣』


最後まで、筆者が語る「どこから見ても豊かな」イギリス人の生きかたが、そんなにいいのかえ、と疑問を持ち続けたままだったけれど、全体的にはフムフムと読めた。

この手の本だとイギリスは~ですばらしいけれど、日本は~~でダメダメ~みたいな話の流れになってしまうのは仕方なし。

私は2010年は「日本・再発見」の年なので(きわめて個人的な一年のテーマ、しかも後付け。)、こういう本を読んだからといって、そう簡単に、よし!明日からイギリス人風に、上司をファーストネームで呼んだろう、と意気込み、「たけはる~、レポートこんな感じでいいでしょうか」とか「今日も素敵なシャツですね、えいいち!」とか言って周囲の空気を凍らせるとかそんなことにはならない。

むしろうちの会社は外資系にもかかわらず日本の風土を色濃く反映しており、アメリカ人のGMがわたしに話しかけるときも、「Good morning Lynn-san. How are you?」と必ず名前に「さん」付け。

まあそういう日本文化に理解のある社長ひきいる軍団のため、私のような純日本娘でもなんとかやっていけている。

話はそれたが、この人の主張することはよく分かって、やはり仕事、私生活どちらかに比重がかかるのではなく、どれもバランスよく行うことはとても大切。人生を仕事、生活、個人(女)に分けて、それぞれの充実をはかるべきである。

文中のあるセラピストの言葉をちょっと引用。

「日本人が仕事人としての自分を全体像の3分の1だと割り切ることができれば、もとリラックスして仕事を愉しむことができるし、これまでにないユニークな人材やビジネスが日本からも次々と生まれるはずだ」

たしかに、仕事で失敗しても、会社での人間関係に悩んでも、まあ3分の1だしね、と考えることができれば、気楽である。

私はまぁ、月の約半分を仕事をして生きている。個人情報保護の関係で家に一切仕事を持って帰ることができないので、私生活に仕事を持ち込むことはほとんどない。生活の部分は三味線などの趣味もあるし、読書もたっぷりしているし、興味のあることは尽きないので、ここも楽しく暮らしている。

問題は3つめである。著者によるとやはりたまには着飾って夜の街へ出て行ったり、男性方と楽しくお話をしたり、カップルで行動したりと、もう少し艶っぽい部分が自分にもなければいけないのではないかと、思わなくもない。でも正直、前の2つが結構うまくいっているため、3つ目に取り掛かるのがすごく億劫なのだ。

しかしやっぱり早く取り掛からなければならないだろう。何となれば料理でも、オシャレでも3つ目があるかないかでずいぶん違うことを実感として知っているからだ。

例えば、塩・コショウに加えてあとヒトツ、たとえばローズマリーとか、バジルとかのハーブを加えると味がとっても引き締まる。お料理だって、メインとご飯に、酢の物とか、時間がなければお漬物を小皿に乗っけるだけで、食卓の印象が大きく変わる。これですよ、この効果。これがまさに、私の人生大で必要とされていることなのね!

と今これを書きながら悟ったので、明日からもう少し色のある服を着て、出かけようと思う次第。

ああ、今日食べた新米が、美味しかったのでなんかそれでいつまでも幸せな自分はことごとく色気より食い気…それも今夜限り。な、はず。

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町田康 『テースト・オブ・苦虫8:あなたにあえてよかった』

仕方ないでしょう、好きなんだから、彼の書く文が。

またまた電車の中で読み出して、さっそく2ページ目で不覚にも噴出してしまった。

「ポコちゃんの立場は?」

というツッコミに…

読み終わった今は煮玉子が食べたくて。

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2010年10月26日火曜日

水野浩志 『「やめたいのにヤメられない!」がスパッとやめられる10秒日記』

これは結構有効な一冊であると思った。

悪習慣を続けるメリット・デメリット、止めるメリット・デメリットを徹底して考え、ついついやめられない本当の理由を探す。

10秒日記で、「今日1日のうちでやめてよかったなぁと思えた出来事」を書き留めていく。

これは、簡単で、楽しい方法かも。気持ちを前向きに保ってくれそう。

で、悪習慣を止めて、それをやっていた時間に、いい習慣を行うことができるようになればさらによし。

今日からやるか~10秒日記。

ところで今週はまた雨が降っていて、図書館へ行くのは次の休みになりそう。残念。


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2010年10月25日月曜日

群ようこ 『三味線ざんまい』


今年三味線を始めた者として、気になっていた一冊。

なんだけれど…

群ようこって、こういう感じなのか…母の本棚にはあった気がしたけれど、自分で読むのは始めてだったのだ。

「ああああっ」とか、「うーむ」とか、「ひぇぇ」とか、そんな言葉があちらこちらで何だかそれが気になった。たしかに、そのもどかしい気持ちはよくわかるけれど、なんか全体的に浅い、軽い。

もっと言えば三味線を始めて1年ちょっとでエッセイを書きはじめ、おさらえ会に2~3回参加して、5年も経たずにもう名取・・・???

本の半分くらいで気持ちが離れてしまったのが事実。

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町田康 『テースト・オブ・苦虫5:おそれずにたちむかえ』

ついつい手にとってしまうマチダさん。

電車の中、カフェにて、笑いをこらえきれず、周りの人から怪しまれてしまった。くすっと笑うならいいけれど、ところどころまぢ笑いなものだから。

だから、ひたすら、家にこもって読むべきなのかも。

以下、印象的だった一部分。

『・・・そんな若い人の小説を読んだり、話を聞いたりして気になることがひとつあるのは、小説を自己表現であると信じて疑わないという点で、なぜなら私は、小説は他人を表現する場所であると思うからである。

他人を表現することで、これまでの自分の考えや行いをとらえ直し、ある意味において自己否定、自己破壊をして新しい自己にいたるのが小説であると思う。』

このあと、ちょっと皮肉な感じでエッセーが続くのだけれど、おっしゃっていること、とてもよく分かると思いつつ、本を閉じて、さてDVD見るか。


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2010年10月16日土曜日

森見登見彦 『美女と竹林』


休日前の夜の、ご飯後の読書タイムって幸せ。

こういう軽いタッチの妄想小説は、さらりと読めて、よし。読むことって楽しいよなぁ、日本語っておもしろいなぁって思う。

ちょうど来週京都に行く。きっといつもどおり竹林(私はやっぱり定番の、嵯峨野の野々宮神社へ続く道かしら)を歩いて、友達と主に恋話で盛り上がるんだろうなぁ。てか、それって竹林関係ないな。

面白かったから、『竹林伐採に関する計画書』をいかに写しておこう。

一、竹林を偵察する。
二、枯れた竹を選びだして、人斬りのように切りまくる。
三、適宜休憩をはさんで清談にふける。
四、倒した竹はいくつかに切り分けて、やるせない過去の思い出とおもに脇へ置いとく。
五、かぐや姫を見つけたら警察へ知らせる(相性がよければ求婚)。


ぷくく。

2010年10月13日水曜日

ローター・J・サイヴァートほか 『すべては「単純に!」でうまくいく』


憂鬱になりがちな休日の終わりに、こういう本を読むのは結構なセラピーだ。

物、お金、時間、健康、人間関係、パートナー、自分自身、という順に、物事をシンプリファイ(単純化)する方法がやさしく書かれている。

こういう本を読むときはとにかくやってみることが大切。

ということで、第1章を読み終える前に「机の上を整理しよう」を実行。まあもともとそんなに散らかっているわけではないし、引っ越してまだ半年なので無駄なものも少ないので、ちょろいもん。

大事なのは、これ以上増やさないことかも。

へぇ、と思ったのは、仕事を辞めるつもりがまったくなくても、新しい仕事を探しておく、という点。以下抜粋。

「○ ときどきは、新しい仕事を探してみる

職場を変えなさいと言っているのではありません。ただ、定期的に、自分が置かれた現在の状況をチェックし、首を伸ばして垣根の外を眺めてみようというのです。
一般的に、転職は新たな経験を積み、収入を増やすチャンスになります。辞めるつもりはなくても、転職の可能性をさぐっておくことは、あなたの自信にもつながります。また、あなたの会社が倒産したり、リストラにあったときにも、役に立ちます。」

最後の部分はあまり考えたくないけど、「自信につながる」ってところが魅力。たまにはどういう会社が求人を出しているのか、チェックするのもいいかも。また、今の仕事で得られたスキルをどういうところに活かせるのかな、と考えておくのもいい。

ま、今の会社には満足しているから、辞めるつもりは全然ないんだけど、ね。


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和田秀樹 『他人の10倍仕事をこなす私の習慣』


和田先生の本は、教育関係の仕事をしていたときによく読んだ。才能ではなく、習慣、やり方の問題、というのは日々子どもに接する中で痛感したことだ。

でも、同じようなテーマの本ばかりで、書いてあることは基本的に同じことなので、遠のいたのだけれど。

一言で言えば、行動することが大切、ということだろう。それから、勉強することが好きであること、何かを知ることに喜びを感じること、こういう心持が必要だということ。

今私は正直、何かを生産しようとか、資格を取ろうとか、そういう気持ちがない。人生で始めて、と言っていいかもしれない。このときを愉しんで、ゆったり時の流れるままに、という感じ。だからこういう本を読んでもあまり奮い立たないし、何かしなきゃと焦ることもない。

でもそのうち、また、昔のようにガツガツし始めるのだろうか・・・う~ん。


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2010年10月12日火曜日

三浦綾子 『遺された言葉』

三浦綾子をはじめて読んだのは、高校生のころ。国語の臨時教員が、『道ありき 青春編』の一部を朗読してくれたことがあったのがきっかけである。

たしか前川正がなくなって、髪の毛を切る場面だったと思うのだが、青春時代をベッドの上で過ごしたという境遇だけでもどんな過酷なものだったろうと、すぐに文庫を買って、読破した。

恥ずかしいことに、三浦綾子を読んだのはそれきりで、『氷点』も『塩狩峠』も、いつかは、と思いながらも未読。今は、いつか、ではなく、「近々」読まなければと思っている。(たいして変わらないって?)

彼女が経験したことって、ひとつひとつがすごく濃くて、考えさせられることが多くて、さぞかし感動しただろうなぁと思うようなものもあって、でも多分私にもそういう経験はあるのだろうし、この先もたくさんあるはずだ、とそういう出来事を見逃さない目を常に持っていたいと思う。

小説について。

”現実の面白さや変化は、作家の想像力を超える。景色の四季の移り変わりにしても、たとえば、見本林のカラスのおびただしい死などは、想像からは生まれにくい。それで、わたしは、ストーリーは作っても、舞台は現実にある場所を求めるのである”

だから、舞台の徹底した研究は、すごいそうだ。登場人物を住まわせる家なども、納得行くまでさがして、間取りをスケッチに取った上で、描く。

なるほど、やっぱりビジュアルって大事なのだ。

しかし彼女のパートナーの三浦光世氏との絆がすごい。それから、キリスト教の信仰。二人だけの結婚じゃなくて、世の中に役立つ家庭にしたいという思いで結婚した、とかその辺りも、見習うべき点かも。

でも一方で、私は、どっちかっつうともっと気の抜けた、落語の噺に出てくるような、夫婦漫才のような、そんなのがいいなぁとか思ったりして。


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2010年10月11日月曜日

齋藤孝 『折れない心の作り方』


以前、一生懸命読んでいた齋藤孝ふたたび。

私は結構心は折れにくく、頑丈だと思っている。ここまで生きてきて、自分の向き不向きや、したいことしたくないことがはっきりしたから、あまり人の意見に影響されることもないし、自分は自分、でやっていけている。

それは私の家族や友達のお陰だし、好きな人のおかげだし、今やっている仕事のお陰でもある。

その中でも重要なのは、人との濃密な関わりだろう。

そういう意味では、環境に救われてきた。

専業主婦の母は大好きでありながら一番訳分からない存在だ、と思うくらいケンカも笑いも共有してきている。大学時代は寮に住まい、裸の付き合いと同じ釜の飯を食べたGirlsがいっぱいいたし、新卒で入社した会社は労働環境がとても厳しくて家族と過ごす以上に同僚と過ごした結果、すごく分厚い信頼関係が築けた、などなど。

よかった、こういう人生を歩んでて、と思えた一冊。


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2010年10月10日日曜日

町田康 『つるつるの壺』

例によって、まだマチダ。でも借りてきた分はこれで終了。

これはあちこちの連載とか講演とかをまとめた系の本で、軽く読めるのがよかった。相変わらず、ぐだぐだ感満載で大好きである。特に本の後半の、「町田康の音楽相談室」と、書評のところが、気に入った。

団鬼六『牡丹』、末永直海『百円シンガー極楽天使』あたり、読んでみようかと。

それにしてもこの本がでたのは、1999年!高校3年生。
Ninetiesに思春期を過ごした私にとっては、あまり昔っていう感じはしないんだけど、十年以上前なんだよね、と思うとなんか思うところはいろいろ。

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2010年10月9日土曜日

町田康 『爆発道祖神』


図書館や本屋でぶらぶらする時間は大好きなのだが、結構時間をつぶしちゃったな、と反省することも多いので、最近はこの人と決めて5~6冊、がばっと本棚から借りてくるのが定番。

ということで、今回はマチダが3冊続く。今日一気に残りを読んで返しに行こうと思ったのに、生憎様雨が降ってきてしまったので、ゆっくりと読む。

町田康のエッセイは、エッセイなんだか短編小説なのか、わからないところが面白い。動物とか、像とか、いろんなところから想像して、話を組み立てていて、そうしてみると日常は本当におもしろいことがいっぱいなんだなぁと思う。

特に電車の中での人間観察とか、先の本でも幾度か出てくるけど、電車に乗るんが楽しみになるもの。


さて今日は雨なので、家でまったりとまた本でも読んで過ごそうかしらん。


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2010年10月8日金曜日

町田康 『東京飄然』




町田康を読み出したのは、雑誌の書評にあって「3ページに一度は爆笑できる」と推されていた『告白』を読んだのが最初。以来大ファンになってしまって。いろいろ読んで、でも『告白』がやっぱり一番好きで、常にちょっとずつ読み返している。

町田康の小説に出てくる主人公って、一日中仕事しないで飲んだくれている、という人が一般に多い気がするので、本人もそんなダメダメ男なのかと思えば決してそうではなくて、早起きして仕事場に向かい締め切りにきっちり間に合うように仕事をこなして、社会的なとこをものっそ大切にしている人なんだと、こういうエッセイを読んでいると感じられる。

「飄然」とは、世事を気にせずのんきな様(goo辞書)。漫然と(ぼんやりと、とりとめもなく)出かけるのではなく、あくまでも飄然と。これは結構難しいことである。漫然と歩く、と言うとなんとなくただの時間の無駄というか、そして本人もそれに気がついていて、家に帰ったあと何してたんだろ、と反省すると言うよく分からない時間の過ごし方。漫然と歩いているときは、何か目的を探しながら、なんかおもしろいことないかなぁ、つまらんなぁと考えていることが多いと思う。なんとなれば、私のような貧乏性の人間は、何かその時間に意義あることをしていないと、気が急いてしまうから、はっきりとした目的がないと、焦る、これはいかんやんと思ってしまうものだから。

一方飄然は、飄然とすること自体が目的と言うか、風雅で禅な感じがする。考えてみれば上のような私の思考は、人生から少しでも多くの楽しみを手に入れたい、みたいな欲の塊であって、そういう何かを外に期待して出歩き、その上また、つまらんかった、とか思うのは何か、卑しい気がする。

本来人間は何も目的がなくても、何もしなくてただただ歩いているだけでも、意味あるときをすごしているし、義務をこなして、約束を守って、締め切りに間に合って、気を遣って、という日がある(というかそういう日がほとんど)のであれば、飄然と足の向くままに、思索をしながらそこいらを歩き回る休日があってもいいではないの。

ということで、今日は休日にあたるため、飄然と、出かけようかな。天気もいいし。